学んだこと、いろは

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『人間 シンボルを操るもの』著カッシーラ 第一章

第一章 人間の、自己自身の認識における危機

 

1-1.哲学的探究の最高の目的

 カッシーラ(Ernst Cassirer)はまず、最初の議題として哲学の目的は何かと問います。そこであらゆる思想が繋がる不動の原点を求めたときに、「自己を知ること」こそが唯一適合すると考えました。確かに、どんな懐疑主義者でも確かに「自己を知ること」の重要性を否定する人はいないでしょう。これはそもそも「知ること」という営みを自己と切り離すことが困難であるからです。この自己と知的探究の営みの間の不可分性に着目した点、非常にユニークだなと思います。また次のように進めていきます。

現代の心理学者の中で、内観法のみを認め、または推奨するようなものは少ない。一般に彼らは内観というような方法ははなはだ不確実だという。彼らは厳格に客観的な、行動主義的態度以外には、科学心理学への道はないと確信している。しかし、首尾一貫した極端な行動主義は、この目的を達することはできない。(第一章 p19)

かれは懐疑主義者の、内観という外界と断絶された自己と向き合う方法では人間の本質を捉えることはできず、また同時に、客観的な観点のみからでも捕捉できないと考えました。こうして、かれは内観でも外観でも捉えることのできない人間現象の全体領域を追い求めて学問を進めていくことになります。

 

もし我々があらゆる材料を集め、これを結合することに成功したとしても、なお人間性の不十分で断片的な像―たんなる一片ーを知り得るに過ぎないであろう。(第一章 p20)

上記をみれば、人間というほかの生物と異なる存在の、その根源となる最小単位を導こうとしたことが明快に見て取れます。単に細分化し分析する方法を彼はここで放棄しています。

 

さて、こうなると独創的かつダイナミックな着眼と論理が必要になってきますが、いかにも自信ありげなようですね。読むのが楽しみになります。(つづく)