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学んだこと、いろは

宇宙、芸術、情報技術、哲学など。

『方法序説』 第二章:自己批判への扉と鉄則

2-1.自己批判の扉

デカルトは旅中に三十年戦争に参加するなど、多様な生活を営むことになるのだか、そうしたなかでまず最初の命題へと向き合うことになる。

それらの思索の、最初の一つは、次のころを考えてみようと思いついたことだ。たくさんの部品を寄せ集めて作り、いろいろな親方の手を通ってきた作品は、多くの場合、一人だけで苦労して仕上げた作品ほどの完成度がみられない。(第二章 p22)

※彼は 旅中で多くの事物に触れただろう。また、その中である種、極まりの悪い現象や心地よいものを経験したに違いない。そうした経験の上にこそ彼の思考が成り立っていることを忘れてはならない。

 

以下のスパルタ、リュクルゴス制の例も非常に的を得ている。

むかしスパルタが隆盛をきわめたのは、その法律の一つ一つが良かったためではない。というのは、ひどく奇妙な法律や、良俗に反する法律さえも多かったからだ。*¹ そうではなく、それらの法律がただ一人によって創案され、そのすべてが同一の目的に向かっていたからである。*²(第二章 p21-22)

*¹ 不具の子を山に捨てる、うまく食物を盗んだ者を称えるなどの一風変わった習わしがあったようである。

*² 古代スパルタの憲法はリュクルゴスによって定められたといわれる。土地の均等分配や合議制、軍事教育や常備軍制度など細やかな制度がある。詳しくは「リュクルゴス制」を参照。

かれはこの身近な現象に着想を得、自身が主題とする哲学に置き換えるとどうなるかと一考する。そして自己の思想が多くの学者の”寄せ集め”であることを見出した。自身がそれまで無批判に受け入れてきた物事を吟味することなくいくら思考を積み重ねたところで、明解な真理には到達できないと考えた。

わたしはこう考えた。書物の学問、少なくともその論拠が蓋然的なだけで何の証明もなく、多くの異なった人びとの意見が寄せ集められて、しだいにかさを増やしてきたような学問は、一人の良識ある人間が目の前にあることについて自然(生まれながら)になしうる単純な推論ほどには、真理に接近できない、と。 (第二章 p24)

かくしてかれの自己批判の扉は開かれた。その後劇的に発展を遂げる人類文明の中核となる、カントの批判哲学へと繋がる航路が開かれた瞬間であった。デカルト形而上学における神の存在論的証明が、結局カントによって批判淘汰されたのは、ある意味かれには本望であったかもしれない。

 

■KEYWORDS

三十年戦争 リュクルゴス制 カント 批判哲学

 

 

 2-2.真理探究の鉄則

デカルトは自己が無批判に、盲目的に受け入れてきたあらゆる知恵について一度疑義をかけてみることにした。

そこで一から思想を組み上げていく上で以下のことを鉄則として自らに課し、練り上げていったのである。

  • 鉄則1 明証性の規則

「わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと」(第二章 p28)

主観における明証性に立脚したという見方では課題ある内容であるし、補足が足りない。好意的にとらえるならば、彼が数学者であり、「数学という客観を同時に扱う存在としての”わたし”が明証性を受けれるときそれは真理である。」ということなのだろう。この項は「神の存在証明」と深い関わりをもつため、のちほど追加で論じる必要がある。

 

  • 鉄則2 分析の規則

「わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけの多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。」(第二章 p29)

私たちが何か究明するとき、対象を基本構造に分解することで理解を深めていく。因果律の世界の中においてはこの分析の規則は有効な効果を持つ。

 

  • 鉄則3 総合の規則

「わたしの思考を順序にしたがって導くこと。」(第二章 p29)

ここでいう”順序”とは”単純から複雑”へ思考を発展させること、思考をよりシンプルなところから始めるというものである。複雑さは単純な要素の集合にすぎない、という数学者としての彼の思いが見え隠れする。

「きわめて単純で容易な、推論の連鎖は、幾何学者たちがつねづね用いてどんなにも難しい証明を達成する。(中略)人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている、真でないいかなるものも真として受け入れることなく、一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなに隠れたものでも発見できる。(第二章 p29)

 

  • 鉄則4 枚挙の規則

「すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、何も見落とさなかったと確信すること」(第二章 p29)

確信は全体の確認の上に成立するし、そこで少しでも疑義を抱くようなものは再度検証しなければならない。単純に理性としての認知だけではなく、自己の感性にも尋ねることが重要である。ゆえに”確信”が必要ということだ。

デカルトはかれの生きた時代からみれば合理主義者の側面がクローズアップされるが、実際には相当の感性を重んじる人間であったといえるだろう。

 

■KEYWORDS

神の存在証明 合理主義