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学んだこと、いろは

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『方法序説』 第一章:記述の意図

第一章:『方法序説』記述の意図

 

デカルトはどのような意図で、目的をもってこの『方法序説』を書き残したのだろうか。ここでは彼自身がどのような目線でこの論文を記したのかについて言及されている。

 

1-1.万人のための書ではない

本著は決して正確な推論の積み重ねを主題としているわけではなく、彼がいかにして演繹の重要性を実感するに至ったか、その経験そのものを述べている。ゆえに、彼は最初にそのことについて断りを入れている。

「(中略)わたしの目的は、自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうとした努力したかを見せるだけなのである。」(第一章 11p)

賛否もあるかとは思うが、ここが本著の特異的・魅力的な部分であり、デカルトという極めて有能な人物がいかなる契機をもとに思想を発展させていったのかという経緯を知ることができる。著作は主に結果が記され過程が省略されることが多く、本著のように作者がいかにしてその思想を考えるに至ったかという記述は極めて貴重な参考となりえよう。

そのため、彼は本著を「万人の教科書ではない」ものであり、ある種「寓話」としての側面としてとらえるべきものであるとも言及している。

 

1-2.読書から旅へ

彼は幼少より多くの書物を読み漁り、語学のみならず、歴史や寓話、占星まであらゆる読み物を読破する。しかしその先に、自己が実世界で孤立していく不安を覚えるのである。

旅(読書)にあまり多くの時間を費やすと、しまいには自分の国で異邦人になってしまう。また、過去の世紀になされたことに興味を持ちすぎると、現世紀におこなわれていることについて往々にしてひどく無知なままとなる。(第一章 p14)

 

そして、経験を排除した机上での思考が問題を有していく構造について考えを巡らす。二次情報(著作等)にのみ依存した思考の課題は、情報が作者の主観によって抽象され、詳細の背景が省略されてしまうことが常であるために、結果として本質に盲目になるという点にある。

どんなに史実通りの歴史であっても、読みごたえのあるようにと事実の価値を変えたり増やしたりしないまでも、少なくとも、およそ平凡でぱっとしない細部はたいてい省略してしまう。そのため、残りの部分もあるがままには示されなくなるし、そこから手本を引きだして自分の生き方を律する人たちは、われらが騎士物語に出てくる遍歴騎士のような奇行におちいり、身の程知らずの計画をもくろみかねない。(第一章 p14)

 

こうして彼は主体における一次情報としての経験を重視するようになっていく。当時まだ20代であったデカルトの緊張しながらも高鳴る鼓動が聞こえてくるようである。

わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問をまったく放棄してしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探究しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした。(第一章 p17)

 

 彼が青春の残りをつかってしたこと、それが現実における旅である。宮廷や軍隊における様々な人々交流を重ね、眼前の課題について反省を積み重ねていくことをした。そして、経験の重要性について、以下のように述べている。

各人が自分に重大な関わりのあることについてなす推論では、判断を誤ればたちまちその結果によって罰を受けるはずなので、文字の学問をする学者が書斎でめぐらす空疎な思弁についての推論よりも、はるかに多くの心理を見つけ出せると思われたからだ。(第一章 p17)

 

 

1ー3.補足

また、彼が言論弾圧の激しい時代に生きていながら、いかに自らの力で自由な思想を芽吹かせ、深めていったのかという点からみれば、今の私たちの思想を高めるためにも、重要な参考となる。

<デカルトの生存時代に弾圧を受けた学者達の一例>1600年、ブルーノ(宇宙無限説/火刑)。1616年コペルニクス(天動説/発禁処分)1619年、ヴァニーニ(哲学/火刑)1623年、ヴィヨー(詩人/追放刑)etc

 

「いかに無自覚な現在を脱却し、自己の思想を発展させるのか」

この問いを己の命題として胸に抱いている人にとり、極めて示唆に富む内容となっているといえる。