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Nico-chan.jp

哲学、藝術、産業に関してのひとり言まとめ集

『世界のたね 上』第1章 好奇心

『世界のたね』

※単純に客観的に内容を要約したものではありません。私の任意で、私の視点で要約しています。

 

第1章 知への第一歩(正式題「好奇心」)

1-1.好奇心がもたらす効果

私たちは日常的に「好奇心」という言葉を使うが、何気ない日常の生活の中で用いて、そこから生物種全体について言及をすることはあまりない。著者アイリック・ニュートは人類の歴史を俯瞰するなかで、最初の章に「好奇心」という標題を掲げた。つまりは好奇心こそが、すべて学問のおおもとであるということである。一体どういうことだろうか。

 

ニュートは以下の一文で始める。

「好奇心をもつ生きものは、いったいいつ頃、地上にあらわれたんだろう?」(第1章 p7)

もしかしたら両生類は好奇心に誘われて陸上に顔を出したのかもしれない。しかし両生類の脳は小さく、(仮に好奇心をもっていたとしても)人間が持つ好奇心とは異なるだろう、と。ただ、ここではいつ好奇心が世界に誕生したのかに言及するわけではない。好奇心という存在に目を向けてみようということだ。

 

ここで大事なのは、「好奇心は生物にどのような影響をもたらすのであろうか」ということである。

「好奇心の強い動物は、自分のまわりの世界をありこち探り歩くので、子どもを産むのに必要な相手や、安全なすみかや、獲物の多い穴場を見つける大きなチャンスに恵まれる。自然界にはたくさんの飢えた肉食動物がいるから、小さな動物が遠くまで餌を探しにいくのはとても危険だ。でも、好奇心の強さが、小動物のさまざまな短所を補ってくれるんだ。」(第1章 p8)

哺乳類として生存した私たちの先祖に好奇心は必要不可欠であった。人類という知の巨人は、自らの力だけでその路を開拓したのではない。好奇心という動物種に共通して内在するものにこそ、知的活動の根源的な起源があるのだとかれは考えている。

 

1-2.人間とその他動物の好奇心の違いはどこにある?

動物種に内在する好奇心という要素が人間を知の巨人に押し上げたとすれば、一つの問いが必然的に生じる。

 

「どのような好奇心の違いが人間と動物に差異を生じさせたのか?」

 

この問いについて、ニュートは二つの差異を挙げている。

①質問期(1/2)

(※子チンパンジーは独り立ちするために様々な試行錯誤を繰り返して、木の登り方などを覚える。)

「人間の子どもも、チンパンジーと同じことをする。でも、人間の子どもの場合は、それに加えて、あれこれしつこくものをたずねる。(中略)子どもは、さまざまな質問や答えをくりかえして、やがて大人になって自分の力で生活するために知識を身につけていくんだ。」(p9)

幼いころ、誰もがそうであった。「宇宙の果てはどうなっているの?」、「電話はどうして鳴るの?」、「車はどうして走れるの?」などとにかくあらゆる質問をするのが人間の幼少期である。この質問(問い)こそが人間の大きな特徴であり、人間を人間たらしめる要因である。

 

②構造化(2/2)

簡単な因果関係についてはチンパンジーでもわかるだろう。たとえば、穴を棒に差すとアリが出てくることなどはその一つだ。

しかし、人間はさらにそこに原因(「どうしてそうなるのか」)を問うことができ、かつ、現象を構造として認識することができる。構造として認知することではじめて、その普遍性や条件についても思索を巡らせることが可能となり、知と知を結び付けて世界を眺めるようになってくる

「人間は、チンパンジーとは違って、いくつもの知識のかけらを集めて一つ大きな全体にすることができる。それはちょうどジグソーパズルで、いくつものピースをつなぎ合わせて大きな絵を完成させるようなものだ。ぼくたちはよく、ものとものと関係を見つけだそうとする。(中略)十万年前に、大脳でものを考えることができるようになってから、ずっといまにいたるまで。」(p9)

その構造化の最大の成果が、「神」と言えるのかもしれない。

 

 

1-3.構造化によって見えてきた「神」という存在

人は知の構造化によって世界という一つの存在が認識できるようになったとき、あらゆる現象の根源となる存在を想起するようになった。

「説明のつかない出来事の背後には神々がいる、とたいていの民族が考えたのもけっして不思議じゃない。神々というのは、ぼくたち人間よりもはるかに大きな力で自然界に働きかけることのできる存在のことだ。」(p10)

そして、その神々は様々な形で人間に関わるようになっていく。

「神々は、たいていの場合、見えない存在とされていたけれども、ときには人間や動物の姿をしてあらわれることもあったようだ。そして、その神々のすることには一つ一つ意味があった。人間たちの悪い行いに対する罰を意味するときもあれば、よい行いに対するほうびの意味もあった。」(p11)

構造化によって生じた”ひとつの世界”において、神は究極的で絶対的な存在であり、人間の不安の元凶となるあらゆる災いの根源として神は君臨するようになった。

 

1-4.古代における天文学の役割

当時の人間は世の中の多くを予測できなかったが、かれらにとって最重要事項であった穀物の生育については、神という媒介者のおかげで、星の出現との因果関係を見出すことができた。

穀物の刈入れがはじまる頃になると、いつも同じ星々が空にあらわれることから、人びとはその星々のおかげで穀物が実ったのだと信じるようになった。こうして空の星々は人間の生活と深いかかわりをもつ神々となり、星占いは一つの重要な職業にまでなった。」(p11)

いかに星々がかれらにとって重要であったかは、人が最初に書きだした記録が星の運行であったことから推測できよう。

「ものを書く技術が考えだされたとき、人びとが最初に書き記したものは、星の運行と穀物の生長の観察記録だった。」(p11)

 

1-5.宗教の弊害

たしかに、現在においても宗教が人類にとって有意義なものであるといえよう。しかし、この宗教というものは、上記にも示した「好奇心」にとっては必ずしも良い効果をもたらすものではない。

「たとえば古代エジプト人たちは、太陽はラー神の目だと信じていた。だからエジプトでは、太陽のことを深く研究することは無駄だったんだ。みんながみんな、太陽はラー神の目だと信じて疑わなかったし、それ以上のことを望まなかったからだ。(中略)こういうふうに、信仰をもつことによって、人間の好奇心がいちじるしく削がれてしまう場合だってあるんだ。神を信じなかった人びとは罰せられることもあったから、そういう人びとは自分の考えを隠すようになった。」(p12)

宗教は世界を一面的に定義するし、排他性をもっている。それが人の好奇心という知の根幹となる働きを阻害してしまうのである。

たしかに、「好奇心」が宗教と関連し、どのような関係性を持っているのかという視点はこれまであまり耳にすることはなかった。人間の歴史を説明する上で、簡潔で、明快な見方といえる。

 

さて、宗教に拘束された人間が多様な視点を獲得するのは、いつになるのだろうか。

(・・・)

そう、皆さんご存じの通り、今から2,500年ほど前の小国ギリシアで、止まっていた時計の針は動きだすのである。(つづく)

 

 

 

 

 

『人間 シンボルを操るもの』著カッシーラ 第一章

『人間 シンボルを操るもの』

第一章 人間の、自己自身の認識における危機

 

1-1.哲学的探究の最高の目的

 カッシーラ(Ernst Cassirer)はまず、最初の議題として哲学の目的は何かと問います。そこであらゆる思想が繋がる不動の原点を求めたときに、「自己を知ること」こそが唯一適合すると考えました。確かに、どんな懐疑主義者でも確かに「自己を知ること」の重要性を否定する人はいないでしょう。これはそもそも「知ること」という営みを自己と切り離すことが困難であるからです。この自己と知的探究の営みの間の不可分性に着目した点、非常にユニークだなと思います。また次のように進めていきます。

現代の心理学者の中で、内観法のみを認め、または推奨するようなものは少ない。一般に彼らは内観というような方法ははなはだ不確実だという。彼らは厳格に客観的な、行動主義的態度以外には、科学心理学への道はないと確信している。しかし、首尾一貫した極端な行動主義は、この目的を達することはできない。(第一章 p19)

かれは懐疑主義者の、内観という外界と断絶された自己と向き合う方法では人間の本質を捉えることはできず、また同時に、客観的な観点のみからでも捕捉できないと考えました。こうして、かれは内観でも外観でも捉えることのできない人間現象の全体領域を追い求めて学問を進めていくことになります。

 

もし我々があらゆる材料を集め、これを結合することに成功したとしても、なお人間性の不十分で断片的な像―たんなる一片ーを知り得るに過ぎないであろう。(第一章 p20)

上記をみれば、人間というほかの生物と異なる存在の、その根源となる最小単位を導こうとしたことが明快に見て取れます。単に細分化し分析する方法を彼はここで放棄しています。

 

さて、こうなると独創的かつダイナミックな着眼と論理が必要になってきますが、いかにも自信ありげなようですね。読むのが楽しみになります。(つづく)

 

『方法序説』 第二章:自己批判への扉と鉄則

『方法序説』

2-1.自己批判の扉

デカルトは旅中に三十年戦争に参加するなど、多様な生活を営むことになるのだか、そうしたなかでまず最初の命題へと向き合うことになる。

それらの思索の、最初の一つは、次のころを考えてみようと思いついたことだ。たくさんの部品を寄せ集めて作り、いろいろな親方の手を通ってきた作品は、多くの場合、一人だけで苦労して仕上げた作品ほどの完成度がみられない。(第二章 p22)

※彼は 旅中で多くの事物に触れただろう。また、その中である種、極まりの悪い現象や心地よいものを経験したに違いない。そうした経験の上にこそ彼の思考が成り立っていることを忘れてはならない。

 

以下のスパルタ、リュクルゴス制の例も非常に的を得ている。

むかしスパルタが隆盛をきわめたのは、その法律の一つ一つが良かったためではない。というのは、ひどく奇妙な法律や、良俗に反する法律さえも多かったからだ。*¹ そうではなく、それらの法律がただ一人によって創案され、そのすべてが同一の目的に向かっていたからである。*²(第二章 p21-22)

*¹ 不具の子を山に捨てる、うまく食物を盗んだ者を称えるなどの一風変わった習わしがあったようである。

*² 古代スパルタの憲法はリュクルゴスによって定められたといわれる。土地の均等分配や合議制、軍事教育や常備軍制度など細やかな制度がある。詳しくは「リュクルゴス制」を参照。

かれはこの身近な現象に着想を得、自身が主題とする哲学に置き換えるとどうなるかと一考する。そして自己の思想が多くの学者の”寄せ集め”であることを見出した。自身がそれまで無批判に受け入れてきた物事を吟味することなくいくら思考を積み重ねたところで、明解な真理には到達できないと考えた。

わたしはこう考えた。書物の学問、少なくともその論拠が蓋然的なだけで何の証明もなく、多くの異なった人びとの意見が寄せ集められて、しだいにかさを増やしてきたような学問は、一人の良識ある人間が目の前にあることについて自然(生まれながら)になしうる単純な推論ほどには、真理に接近できない、と。 (第二章 p24)

かくしてかれの自己批判の扉は開かれた。その後劇的に発展を遂げる人類文明の中核となる、カントの批判哲学へと繋がる航路が開かれた瞬間であった。デカルト形而上学における神の存在論的証明が、結局カントによって批判淘汰されたのは、ある意味かれには本望であったかもしれない。

 

■KEYWORDS

三十年戦争 リュクルゴス制 カント 批判哲学

 

 

 2-2.真理探究の鉄則

デカルトは自己が無批判に、盲目的に受け入れてきたあらゆる知恵について一度疑義をかけてみることにした。

そこで一から思想を組み上げていく上で以下のことを鉄則として自らに課し、練り上げていったのである。

  • 鉄則1 明証性の規則

「わたしが明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと」(第二章 p28)

主観における明証性に立脚したという見方では課題ある内容であるし、補足が足りない。好意的にとらえるならば、彼が数学者であり、「数学という客観を同時に扱う存在としての”わたし”が明証性を受けれるときそれは真理である。」ということなのだろう。この項は「神の存在証明」と深い関わりをもつため、のちほど追加で論じる必要がある。

 

  • 鉄則2 分析の規則

「わたしが検討する難問の一つ一つを、できるだけの多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること。」(第二章 p29)

私たちが何か究明するとき、対象を基本構造に分解することで理解を深めていく。因果律の世界の中においてはこの分析の規則は有効な効果を持つ。

 

  • 鉄則3 総合の規則

「わたしの思考を順序にしたがって導くこと。」(第二章 p29)

ここでいう”順序”とは”単純から複雑”へ思考を発展させること、思考をよりシンプルなところから始めるというものである。複雑さは単純な要素の集合にすぎない、という数学者としての彼の思いが見え隠れする。

「きわめて単純で容易な、推論の連鎖は、幾何学者たちがつねづね用いてどんなにも難しい証明を達成する。(中略)人間が認識しうるすべてのことがらは、同じやり方でつながり合っている、真でないいかなるものも真として受け入れることなく、一つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなに隠れたものでも発見できる。(第二章 p29)

 

  • 鉄則4 枚挙の規則

「すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、何も見落とさなかったと確信すること」(第二章 p29)

確信は全体の確認の上に成立するし、そこで少しでも疑義を抱くようなものは再度検証しなければならない。単純に理性としての認知だけではなく、自己の感性にも尋ねることが重要である。ゆえに”確信”が必要ということだ。

デカルトはかれの生きた時代からみれば合理主義者の側面がクローズアップされるが、実際には相当の感性を重んじる人間であったといえるだろう。

 

■KEYWORDS

神の存在証明 合理主義

『方法序説』 第一章:記述の意図

『方法序説』

第一章:『方法序説』記述の意図

 

デカルトはどのような意図で、目的をもってこの『方法序説』を書き残したのだろうか。ここでは彼自身がどのような目線でこの論文を記したのかについて言及されている。

 

1-1.万人のための書ではない

本著は決して正確な推論の積み重ねを主題としているわけではなく、彼がいかにして演繹の重要性を実感するに至ったか、その経験そのものを述べている。ゆえに、彼は最初にそのことについて断りを入れている。

「(中略)わたしの目的は、自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうとした努力したかを見せるだけなのである。」(第一章 11p)

賛否もあるかとは思うが、ここが本著の特異的・魅力的な部分であり、デカルトという極めて有能な人物がいかなる契機をもとに思想を発展させていったのかという経緯を知ることができる。著作は主に結果が記され過程が省略されることが多く、本著のように作者がいかにしてその思想を考えるに至ったかという記述は極めて貴重な参考となりえよう。

そのため、彼は本著を「万人の教科書ではない」ものであり、ある種「寓話」としての側面としてとらえるべきものであるとも言及している。

 

1-2.読書から旅へ

彼は幼少より多くの書物を読み漁り、語学のみならず、歴史や寓話、占星まであらゆる読み物を読破する。しかしその先に、自己が実世界で孤立していく不安を覚えるのである。

旅(読書)にあまり多くの時間を費やすと、しまいには自分の国で異邦人になってしまう。また、過去の世紀になされたことに興味を持ちすぎると、現世紀におこなわれていることについて往々にしてひどく無知なままとなる。(第一章 p14)

 

そして、経験を排除した机上での思考が問題を有していく構造について考えを巡らす。二次情報(著作等)にのみ依存した思考の課題は、情報が作者の主観によって抽象され、詳細の背景が省略されてしまうことが常であるために、結果として本質に盲目になるという点にある。

どんなに史実通りの歴史であっても、読みごたえのあるようにと事実の価値を変えたり増やしたりしないまでも、少なくとも、およそ平凡でぱっとしない細部はたいてい省略してしまう。そのため、残りの部分もあるがままには示されなくなるし、そこから手本を引きだして自分の生き方を律する人たちは、われらが騎士物語に出てくる遍歴騎士のような奇行におちいり、身の程知らずの計画をもくろみかねない。(第一章 p14)

 

こうして彼は主体における一次情報としての経験を重視するようになっていく。当時まだ20代であったデカルトの緊張しながらも高鳴る鼓動が聞こえてくるようである。

わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問をまったく放棄してしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探究しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした。(第一章 p17)

 

 彼が青春の残りをつかってしたこと、それが現実における旅である。宮廷や軍隊における様々な人々交流を重ね、眼前の課題について反省を積み重ねていくことをした。そして、経験の重要性について、以下のように述べている。

各人が自分に重大な関わりのあることについてなす推論では、判断を誤ればたちまちその結果によって罰を受けるはずなので、文字の学問をする学者が書斎でめぐらす空疎な思弁についての推論よりも、はるかに多くの心理を見つけ出せると思われたからだ。(第一章 p17)

 

 

1ー3.補足

また、彼が言論弾圧の激しい時代に生きていながら、いかに自らの力で自由な思想を芽吹かせ、深めていったのかという点からみれば、今の私たちの思想を高めるためにも、重要な参考となる。

<デカルトの生存時代に弾圧を受けた学者達の一例>1600年、ブルーノ(宇宙無限説/火刑)。1616年コペルニクス(天動説/発禁処分)1619年、ヴァニーニ(哲学/火刑)1623年、ヴィヨー(詩人/追放刑)etc

 

「いかに無自覚な現在を脱却し、自己の思想を発展させるのか」

この問いを己の命題として胸に抱いている人にとり、極めて示唆に富む内容となっているといえる。

 

『方法序説』 全容概説

『方法序説』

ここでは17世紀フランスの哲学者ルネ・デカルト(René Descartesが遺した『方法序説』のエッセンスを記録しておく。

 

方法序説』は「我思う、ゆえに我あり(Cogito ergo sum)」という代表的一文とともに日本では合理主義の始祖として崇められているところがあるが、実際どのような内容であるのかを知っている人は少数である。

※読んでみるとわかるがこの論文は短編であり、翻訳文庫で100p程度の読み物であるので、興味ある方は一度手に取られることを薦める。もともと、『理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話(序説)。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学』という500pを優に超える大論文の最初7pに記されているのが『方法序説』であり、彼の哲学思想の根本が論じられている。

 

方法序説』は全部で6つの章から成るが、その一つ一つについて、ここで内容を確認していこう。各章に題はついていないが、内容を要約すると下記あたりが妥当だろうと思う。

 

  • 第一章:『方法序説』記述の意図
  • 第二章:自己批判への扉と鉄則
  • 第三章:自己批判における道徳格率
  • 第四章:「我思う、ゆに我あり」へと繋がる路
  • 第五章:世界、人間について
  • 第六章:学問のあるべき姿と今後の展望